マンション建替え
体験記

「ライオンズ溝の口レジデンス」で
マンションの建替えに携わった
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ライオンズ溝の口レジデンスの建替えについて、48世帯の住民が手探りで建替えに挑戦した奮闘の記録と建替えの手法が記された「マンション建替え物語―上作延第三住宅における10のポイント」(鹿島出版会)より、内容を要約してご紹介いたします。

建替えのきっかけ

いい家に長くすみ続けたい。だれでもそういう思いをもっています。
マンションの建替え事業を終えた今、その「思い」こそが、なによりも大切であることを痛感しています。私の住んでいた上作延第三住宅は、1967(昭和42)年に完成した建物で、その当時建てられた標準的な団地タイプの建物でした。

私は、結婚を機に、寮生活からアパート住まいとなり、子供の誕生をきっかけにこの分譲住宅に住むようになりました。当時28歳です。それから30年近くの歳月をここで過ごしたのですが、その間、子供の成長に合わせて家が狭くなり、もう一部屋欲しいと思うようになりましたが、建物の老朽化も進み、水道が出にくくなったり、外壁がはがれてきたりもしていました。

私だけではなく、ほかの住民の方も同じような不満を持つようになっていました。ここの住民の方はほとんどが私と同年輩。定年が近づくにつれて、将来は、どこでどのような生活を送ろうか、子供のことも心配。そこに、部屋が狭くなったり、建物の老朽化が目立ってきたので、自然と住民の皆さんが「建て替えたい」と言い出すようになったのです。

最初の一歩

バブル崩壊後の90年代初め、実際に「建替えしよう」と立ち上がった人がいました。当時の自治会会長で、建築や不動産に関する専門知識が深かった人です。

自治会会長をはじめとして13名が集まり、建替え委員会の発起人会として、活動に入りました。デベロッパーの担当者と勉強会を開いたり、新築マンションのモデルルームを見学に行ったりしましたが、いくつもの難題があがり、このときの建替え委員会はうやむやのままに終わってしまいました。

まず、ここは、神奈川県住宅供給公社が建てた「所有権留保付きマンション」で、住民は、建築主である公社から月賦のような形で、各住戸を購入していました。購入の代金を建築主に長期の分割で支払い、その公社への債務が完済するまでは、買主である住民には区分所有権がありません。その当時も、48戸中18戸が登記簿上では県の公社の所有なので、区分所有権がない状態でした。

しかし、2001(平成13)年、すべての住民が住宅供給公社への債務返済が終えたときに、建物がすべて買主のもとなり、私たちは区分所有者となったわけです。住民の皆さんが、再び建替えに思いを向けるようになり、まず今まで無かった管理組合を発足させ、「自分たちでできることはなんでもやる」「私たちが建替え事業の主体だ」という意識で建替え準備委員会をスタートさせました

様々な課題

最初の一歩建替え決議に至るまでの間に様々な問題がありました。
建替えに反対する理由は、「高齢になったので、もうどこにも動きたくない」「修繕でも良いのではないか」、そしてお金の問題といったところです。
このままでは、資金が足りない。どうしようか…という迷いがでてきたときに、準備委員のなかから事業協力者としてデベロッパーとも話をしようという意見が自然と上がってきました。ただ、区分所有者のみんなは、「自分たちで建てて売る」と思っていますので、ある程度の事業計画を立ててもらい、その計画を公表することで、納得してもらうことになりました。

結局のところ私たちの建替えは大手のデベロッパーである大京が力を貸してくれて成功することになります。並大抵ではない努力をしていただき、その結果、同じマンションとは比べものにならないグレードの高いマンションにすむことができるようになっています。 同じころ、大規模修繕をしたときの試算の結果を見て、修繕を推していた区分所有者も、ほとんどが建替えの意思を示すようになっていきました。
こうして最終的な「建替え決議」が可決され、続いてマンション建替え組合の認可が下りました。

そして、権利変換に向けた活動は続きます。急なスケジュールをやりくりして、事務局メンバーをはじめ大京の方々が動いていただけたこと、新しい設計図をつくっていただけたことには、非常に感謝しています。それがなければ、この建替えは成功しなかったと思っています。地権者の要望に沿う形で何度も設計変更に応じてくれて、私たちの思いを通してくれました。

もう1つ重要な取り組みであるご近所との調整は、組合員みんなが結束して、近隣の方々に事業内容を説明しようということで一致しました。
本来なら私たちは大京にお任せしてしまって、ちょっと顔を出すだけでもいいわけです。それを、私たちが一緒になってやるわけですから、近隣対策費はぐっと抑えられます。その分のコストを建物に上乗せしてくれて、当初の設計よりもグレードの高いものを作ってくれました。これが、本来の組合施行のやり方である、と私は思っています。説明そのものは、大変でしたが、おおむね順調でした。
権利変換計画総会の採決では、5分の4以上の多数決議承認のところ、条件付きでの賛成も含めて、48戸全員の同意をいただきました。

そしてマンションは完成した

35年にわたって私たちの安らぎの場所であった建物が、いよいよ解体されます。たくさんの方が集まって、お酒や軽食で、昔話に花を咲かせました。自分がすんでいた部屋に上がってみる人や、思い出の場所に行ってみる人もいました。そして、みんながお互いの健康に気遣い、新しい建物に全員が元気で戻ってくることを願いながら、楽しい時間を過ごしました。

2006(平成18)年、マンションの建築工事が完了致しました。内覧会を行い、今までバラバラのところに暮らしていた皆さんが再び元の場所に集まりました。それぞれ、建物内の自分の部屋を見に行くと、感動した様子で戻ってこられ、私や事務局に感謝の言葉を伝えてくれたのが、とても嬉しかったです。定礎式の際には、定礎の裏に記念品を入れました。建て替える前と後の建物の写真、事業に携わった人の名簿、その年の新聞の号外、そして私の手紙で、次にこのマンションを建て替える人に宛てた手紙です。

私たちの建替事業は、90年代に最初の計画が出てから、10年以上の時間を費やしました。その間、新しいマンションの完成を見ずに亡くなった人もいます。私自身、その当時は働き盛りでしたが、この間に会社を辞め、建替事業に専念するようになり、今ではすっかり、建築や不動産に詳しくなりました。それだけの時間が経ったのです。

この建替えが成功したのは、組合員の方々が、どんなことでも自分たちでやるという意識を持てたからです。マンションは集合住宅なので、個の力が強いのです。なかなか一つにまとまりません。そして、何事を成すにも、まずはよき協力者を得ることです。この建替えでは知識が豊富な地権者がいて、参加組合員として大京の社員が事務局に入ってくれ、私たちを導いてくれました。各自の持っている知識を寄せ合ってくれた成果が、今回の「ライオンズ溝の口レジデンス」です。

ある方が、こんなことを話してくれました。「90年代に最初の準備委員会ができたとき、一度つまずいているわけです。普通だったらそこであきらめるものです。それをこうしてやり遂げてしまったのですから。皆さん、たいしたものです。あっぱれです。」自慢話になりそうですが、これはみな、自分たちの力でつくり上げたものです。みんなが明日への希望を持って、建替えに臨んでいたということです。

一緒に手を取り合ってきた住民の皆さん、事業に協力をしてくれた大京や設計事務所、ゼネコン、川崎市の皆さんに深く感謝致します。

※出典:『マンション建替え物語−上作延第三住宅における10のポイント』(出版社/鹿島出版会 著者/鈴木 啓之、飯田太郎 監修/丸山 英氣)